「排外主義にNO! 福岡」

会員の個人史を語る学習会その1

4月例会の報告

排外主義にNO!福岡の会では、昨年2月の結成以後、毎月の定例会と並行して、定期的に学習会をおこなっています。学習会は、会員やその周辺で活動されている方などに提案をお願いし、意見交換をしながら、問題意識を深めていくといったものです。
これまで、在日外国人の参政権問題をはじめ、現在の排外的風潮をもたらしている背景、障害者の在日無年金問題などについて、学習してきました。

 今年2年目になって、あらためて会員一人ひとりが、関わってきた活動や課題を踏まえて、今またなぜ「排外主義」という問題にこだわっているのかを聞き、知ることで、お互いの認識を共有し深める契機にもなるのではないかということで、「個人史を語る」といった試みを始めようとしています。
第1回目は、福岡地区合同労組の筒井修さんの1968年大学入学から現在に至る42年の闘争史(?)を語っていただくことで、一つの運動史と筒井さん自身のこだわりを共有し、今後の排外主義への取り組みにもつなげていくことができたのではないかと思います。
ここで、そのすべてを紹介することはできませんが、簡単に一部を掲載します。

○九大構内に戦闘機ファントム機が墜落したことから、運動に目覚める契機となり、ハンセン氏病問題から部落解放運動に関わるようになり、原点は、大学そのものや教授陣の差別的体質を問うという姿勢からだったようです。
「1971年だったですけれども、当時、沖縄返還粉砕という闘いが九大教養部で取り組まれて、その一環といて九大教養部の正門をバリケード封鎖したんですよね。それで教官がバリケード封鎖を解除にくるということで、そのバリケードを防衛しようということで、バリケードの周りにスクラム組んでバリケード防衛しようとしたら、それが不退去罪と威力業務妨害罪を構成するということで、パクられて、逮捕・起訴されたわけです。これが私の第一次の逮捕・起訴だったわけです。
それでまあ、そういう部落の青年に対するつきつけに対して、私としては、「いや、同じ労働者として、俺はあんたらと同じ立場の労働者として労働運動やるんだ」というかたちで、学生の存在っていうことから訣別、カッコよく言えば訣別なんですけども、要するに大学を辞めて労働者になって労働運動やろうというような決意をして、大学を辞めました。それが1972年の5月15日って、沖縄返還協定の調印が5月15日だったんで、その日に、抗議の意味を込めて退学するということで、退学届を出して、それから労働者になりました。
 それから日本電気産業という、これ名前はデカいんですけど、それほど大きくない会社なんですけれども、それに入って、半年ほどで日本電器産業労働組合を結成して、そこの書記長に就任して、これが私の労働運動としてのはじまりなんですね。で、このころ私の友人であった、林病院で薬剤師として働いていた友人が解雇されたので、「林病院の不当解雇を撤回させる会」というものを結成して、不当解雇撤廃闘争をはじめました。それから、大同印刷とか志岐自動車とか第3ひまわりとか、まあそういう身の回りの人間の労働組合の結成に関与して、75年に「福岡地区合同労組研究会」という研究会を作って、それから1年間、研究というか、合同労組運動とは何ぞやとかいう研究とかをやったりしたんですけれども、1年たって、もう研究しとっても仕方がないんで実際にやろうじゃないかという話で、1976年に「福岡地区合同労組」を結成しました」

○東アジア反日武装戦線の大道寺さんと益永さんの死刑判決に反対して起こしたTシャツ訴訟の話について、出された質問に答えて。

「彼らはやっぱり、侵略の問題、とりわけ朝鮮に対する侵略の問題を一生懸命考えよったし。だからまぁ、うちらもそらぁ言葉としては侵略企業の責任みたいなことを語るけど、それを実行に移して、侵略企業だから許せないみたいな、んなことを実行に移すかちゅうたら、あんまり現実性も具体性もないけども、彼らにとってはそれがやっぱり命かけてやるだけのことだったんだなあと、それだけ差別の問題とか彼らにとっちゃあ許せなかったんやなあという。ま、想像するしかないですけどね」

つづく。

※会に参加されたい方、学習会に参加してみたいかたは、直接ご連絡ください。
  saynotoracism@excite.co.jp
 月に一回の例会、年会費1000円、その他街頭行動などをしています。

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by saynotoracism | 2011-04-25 09:59